聖岳の写真

厳冬期 聖岳東尾根 雪深い南アルプスの名峰を登る(2015年)

聖岳の写真南アルプスの南部に位置し、100名山の1つとしても数えられている名峰聖岳。

夏には多くの登山者が訪れるこの山も、冬には小屋の営業もなく入山者は激減する。

夏季のルートは谷底を進み、尾根に沿ったルートを取らない、つまり雪崩の危険性がある。

この山に冬登る場合、山頂から東側に伸びる尾根、通称「東尾根」を辿ることになる。

年末年始には数パーティー入る事もある山域だが、今回は登った時期が少し遅い。

ひどいラッセルになる事は予想されたが、去年からこの山に登りたいと思い続けていたのだ。

あの山に登れる喜びと不安を胸に、5日分の装備をまとめ沼平のゲートに向かった。

 

⚫1日目

6:00~12:00 沼平ゲート → 聖沢登山口

12:30~16:30 聖沢登山口 → 1600m地点

⚫2日目

7:00~14:00 1600m地点 → ジャンクションピーク

14:00~16:00 ジャンクションピーク → 2300m地点

⚫3日目

6:30~13:00 2300m地点 → 白蓬の頭

13:00~15:30 白蓬の頭 → 東聖岳基部(2750m付近)

⚫4日目

5:00~8:00 東聖岳基部(2750m付近) → 聖岳山頂

 

1日目

東尾根を登るためには静岡側から入り、沼平のゲートから5時間ほどの林道歩きが必要になる。

5時間の林道歩き・・・、最悪だ。しかし、あの山を登るためには仕方なし。

荷物は25キロくらいある気がする。氷の張った林道を重いザックを背負い黙々と歩く。

朝5時にはゲートを出発したが、登り始めるのは昼頃だろう。

 

聖沢の登山口に到着したのが12時頃、予想通りの凄い雪でスピードは出ない。

暫くは夏道を進むが、途中から尾根に取りく。16時ごろには尾根上の平らな所でビバークとした。

登山口(約1200m)からビバーク地点(1600m)まで4時間程、100m登るのに1時間かかっていた。

 

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2日目

テントを撤収し出発したのは朝の7時ごろ、今日も寝坊してしまったのであった…。

後悔した所で良い事もなし、やるべき事は山ほど残っているし、ひたすら前に進むのみ。

この日は白蓬ノ頭(約2600m)まで進みたかったが、雪の量を考えると厳しく思えた。

 

午前中は調子がいいのだが、午後になると疲れが出てきた。

16時になって辿り着いたのは2300m地点だった。1日かけて700mしか登れていないが、時間も遅いためビバークとした。

 

3日目

初日~数日の天気は下り坂、4日目は好天が予想されたため、森林限界の間際までは進んでおきたい。

身支度をして出発するが、朝から激しいラッセルとなり不安がよぎる。

降雪も激しく、あたりは薄暗い。1人で山奥にいる事を思うと、なんだか寂しくもあり、楽しくもあり、普段とは全くの別世界に来たような気分になる。

 

数歩進むごとに足は止まり、息も上がってしまう。

なにしろ昨日からラッセルしかしていない。しかも酷いところは雪が顔まであるラッセルだ。

腕で雪を叩き潰し、膝で蹴り上げ、上に載って雪を固める。何百回もこの作業を繰り返していて体力は限界だった。

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雪が振り続ける中、東聖の尾根を望む

 

森林限界の手前、2重稜線の地帯に風を避けれる場所を選んでテントを張る。

この日の夜は酷い豪風で、ジェット機が横を通り過ぎるような、「ゴーッ」という音が常になり続けていた。

私のテントはうまい位置に張れていたらしく、揺れても飛ばされそうという事はない。

こういう時、外の環境から守ってくれるテントが異様に愛らしく感じるのである。1人で来ているからだろう。

 

朝焼けの富士

4日目

山頂アタックの日、朝起きてみると昨晩の豪風はやんだ様子だった。

身支度をし、5時には出発した。真っ暗闇の中黙々と山頂を目指す。

尾根越しに富士山がくっきりと見え始める。

今日が聖岳を登る日として、最高の1日だということは明らかだった。

アイゼンも雪に良く効き、昨日までとは打って変わってラッセルもない。歩くペースは上がり、8時頃には聖岳に登頂した。

 

山頂での感動はあまりない、こんな寒いところから早く帰りたいと思うだけだ。いつもそう思うが、夏山よりも冬山で強くそう思う事が多い。

寒いからかな。

 

聖岳東尾根

 

ただ、山頂で飲んだお湯と、雄大な赤石岳の山様は忘れられない。

いつか、あの頂に立ちたい、そう思い下山するのであった。下山かったるい・・・。

2020年9月追記ここから

前にこの記事を書いた時にはあえて載せなかったんですが、この山行には後日談?があります。今日まではアフィリエイト目的だったし登山玄人感でたほうが良いかな~と思い、あえて書かなかったですが、個人ブログにする事にしたので記録として残しておこうと思います。

というか、久しぶりに古い記事を見ると文体が気取ってて恥ずかしい(笑)

まあ、そういう方向性で書いてたのでご容赦ください…。(めんどくさいので直しません)

5日目

4日目の記事では山頂までで終わっていますが、4日目は聖平小屋まで行っています。この日(4日目)は晴天で登山日和、非常に快適でした。

ただ、聖からの下りはそこそこの斜面で時間帯によってはアイスバーンになるかと思います。滑落したら止まらない傾斜ですので気を付けてください。また、尾根沿いの道は切れ落ちていて結構危険かと思います。こちらも行く方は気を付けてください。

5日目は聖平小屋からスタートします。本来の予定では聖平小屋→上河内岳→茶臼小屋→横窪→沼平というコースで帰る予定だったのですが、心変わりして椹島に降りようとします。

心変わりというのは、「早く嫁に会いたいな~」と思ってしまっただけなんですが、それが良くなかったですね。椹島までの登山道なんて降りるつもりもなくて調べてないですし…。

それで5日目は椹島に向かって聖平までの夏道を歩くんですが、これが雪が多い!!もうずっと胸ラッセルだし、辛抱なりません。

それに、夏道はトラバース道で、雪崩も心配だな~と思い、滝見台からいったん尾根を登ります。そこから尾根沿いに降りて聖沢つり橋に行こうという作戦です。今となってはトラバースしていけば良かった気もしますが、雪山の経験も少ししかありませんし、分かりませんでした。

聖沢つり橋への下りで尾根を間違えて南側に降りて行ってしまいました。これで道迷いしてしまいました。この時は翌日に下山しないと遭難騒動になりそうだしということで軽いパニック状態です。確信はもてないけど信じて降りるみたいな感じでした。ただ、ある程度やると諦めがついて(ああ、今おれは遭難してるんだという意識になる)、登り返します。現在地が分からないならば登り返すという知識はあったのが救いです。あとは体力、シェルター(テント)、食料もありました。その日は少し登り返し、適当な場所でビバークしました。泊った場所から赤石ダムの明かりが見えて切なくなります。

この時点で下山予定日(翌日)に降りることを諦めます。現在地が分からないので、そのまま山を降るのは危険との判断です。沢になんて降りてしまったら、それこそ死んでしまうかもしれませんし…。

6日目

道迷い翌日は意外に冷静です。もう遭難確定ですし。

現在地が分からないのでとりあえず登り返します。GPSは当時持っていませんでした。山は自分の力で登るんだ!という意識が強く、地図とコンパスを使って登る事に価値があると思っていました。今(2020年)はGPS大好きです(笑)

遭難したという事で、救助のヘリが飛んでいました。ただ、こちらからは見えるのですが、上空からは見えないようで、そのまま通り過ぎていきました。

そこから登り返して上河内岳まで行きました。しかし、ここでホワイトアウト。

これ以上の行動は危険だなと思い、稜線上の窪みでビバークしました。

7日目

天気が良くてラッキーでした。この日は茶臼小屋経由で下山します。

ウソッコ沢小屋のあたりで静岡県警のかたに会いました。遭難騒動にはなっていて、救助隊が出ていました。

申し訳ない、という気持ちしかないですが、色々気遣ってくださったし、命をかけて冬の山に入ってもらい、なんとも言えない気持ちになります。

感想?

7日目にして生きて下山できたので良かったです。運もよかったと思います。

自分の行動で評価できることは、聖岳に行く前に歩荷トレをして山に登る体力をつけていた事(1か月間週1で30キロを担いで700m登りのある山に行っていました。)、自分の経験値では難しい山だと思い予備食を十分に持っていた事(予定では4泊5日でしたが、余分に2日分は持っていました。)でしょうか。

一方で雪山の経験は圧倒的に足りなく、特に下山時のルーファイへの意識は足りませんでした。ここまで夏道と違うのか、というのはトレースのない雪山を経験しないと分からないことだと思います。現在地を知るための手段としてGPSを積極的に利用するべきでしたが、当時の自分の考えでは実行に移せませんでした。

なにより、遭難してから山に行きづらくなりました。家族からの心配?というのは地味に効きます。

この遭難を境に自分は山岳会に入りまして、そこで色々教えてもらっています。気の合う仲間もできたし、あのまま1人で山に向き合っているよりも良かったかなとも思っています。

当時の自分のような考えの人が多いとは思いませんが、そういった方の参考になればと思います。


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